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更新日:2020年11月25日

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玉手箱を開けて (加良部・女性・49歳)

 中国残留孤児のテレビを見るたびに”もしもほんの僅か運命が狂っていたら、私も同じように孤児になっていたかも知れない”と思う。

 あの忌まわしい殺伐とした戦争中の恐ろしさは、今でも夢にあらわれて非情に私を地の底へと引きずり込んでいく。
 もうすでに戦後40余年が過ぎようとしているのに私の傷はまだ癒されていないのか。その影をどこまで引きずっているのかと考え込んでしまうのである。

 私の父は外交官でウィーンの総領事をしていたので、私はウィーンで生まれそこで何不自由なく育った。しかし第二次世界大戦が始まり爆撃が激しくなると、美しいウィーンの都はたちまちに瓦礫の山、地獄と化してしまった。
 父は連日司令部へつめっきりとなり、母やばあやは、女とみると卑劣になるロシア兵を避けてどこかへ身を隠してしまった。私は弟の手を引っぱって爆弾と執拗なロシア兵の手を逃れ、冷たい地下壕を逃げまどった。

 いつ掘られたのかウィーンの美しい高層建築の地下には防空壕が蟻の巣のように続いていた。真暗闇の、足元の悪い、そしてどこへ出られるのかもわからない壕の中を、うしろの人に追いたてられるように弟と走った。立ち止まれば後ろから恐ろしい魔物が襲ってくるようで、私たちは泣き叫びつつ走った。
 今も私はうなされて涙の冷たさで目が覚める。
 そのうち、私の家にも爆弾が落とされた。幸か不幸かそれは不発だったが・・・いつ爆発するかも知れず、結局、私たちもウィーン郊外へと逃げのびたのである。

 ドイツには昔の貴族が建てたお城がいくつもある。その一つのハップスブルク家末裔のお姫様という老婦人が住んでいたゴルデック城に私たち一家は疎開した。
 広大な土地を石塀でぐるりと囲ったお城は一国になっていて、その中には教会もあれば、靴屋もあり、牛舎もあれば、パン屋もあって、その高貴なご主人が「私たちには日独協定があるではありませんか」と日本人の私たちをたいへんていねいにとり扱ってくださった。その戦時中とは思えぬ静かなゴルデック城での生活も、突然銃口を突きつけたロシア軍の侵入によって再び奪いさられてしまった。
 ロシア軍は重くなったのか掠奪してきた金時計や指輪、首飾りを裏庭いっぱいにまき散らした。生まれた子供のうぶ毛の入った首飾り、愛する夫の写真を入れたロケット、妻への結婚指輪、それは平和な家庭をぶち壊し、幸福を掠奪しているかのようにち切れて散乱した。

 そしてその5月ウィーンは死の都となり降伏して終戦を迎えた。
ウィーンが降伏すると日本からは、「至急帰国せよ」との命令がでた。ウィーンは終戦になったものの、まだ第二次世界大戦のさなかである。
 私たちは取るものもとらずシベリア鉄道を乗り継ぎ、満州をとおり2ヶ月かかって命からがら舞鶴まで辿り着いた。もし親とはぐれても生きていけるようにと母の宝石を下着に縫いつけて、パンやチーズも背負っていた。
 実際に途中で汽車も船も爆撃を受けて「もうだめだ」と思うことが何度かあった。あのとき、私は父にしがみついて泣いて救命ボートに乗らなかったが、乗っていたら孤児になっていたか死別していたに違いない。
 引き揚げてやっと辿りついた祖父母の家で苦しい食糧事情、襲う病魔、つらい人間関係、涙もかれ果てた失意のどん底で8月15日の2度目の日本での終戦を迎えた。

 先般、私は40年ぶりに生まれ故郷のウィーンを訪れた。
 私の育ったところをたずね、引き裂かれるようにして別れてきた人たちとの再会も果たした。でも流れ去った月日は取り戻そうとしても過去への道はすでにゆき止まりである。
たった6才の私は戦争に対する語りきれない悲しみや苦しみをおうたまま、玉手箱を開けてしまった。

 若い娘はスポーツや旅に興じ、日本は世界の経済国となり、戦争を知らない世代もふえた。戦争はもう遠い過去のものとなった。たとえあのとき日本が勝利を収めたとしても、こんな愚かな戦争というものは決してすべきではない。

 だんだんと遠のくウィーンを、飛行機の窓から眺めながら、はじめて私は心の中で3度目の本当の終戦が迎えられたように感じていた。

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