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更新日:2020年11月25日

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シベリアの抑留生活に耐えて (竜台・男性・故人)

 昭和19年12月10日、19歳と10ヶ月、現役兵として東部83部隊に入隊、その月のうちに北支河南省の開封という町の近くにある孝城県の北支派遣弘1469兵団島崎中隊に配属された。(中略)

 昭和20年8月9日、ソ連の参戦により部隊は新京(長春)に移動したが、同月15日に終戦となり、更に新京から一晩中強行軍で四平街の公主領まで下がった。この途中、私はアメーバ赤痢にかかり血便の出る状態だった。落伍して丸一日かかって一人で中隊をやっと探しあてた。戦友は「よく生きていたなあ」と喜んでくれた。ここで武装解除をして丸腰となった。

 昭和20年の10月初旬、部隊は列車に乗った。内地へ帰れるやら、シベリア送りやら見当もつかず不安な毎日でした。やがて列車はハルピン駅に到着、間違いなく北に向っている。もはや国へ帰ることはあきらめねばならない。緑ひと色もない大平原を北に向かって走る。幾日めかに満州里のレンガ造りの大きな街並みが目に入る。やがて国境を越えてシベリア鉄道のチタの町、そしてバイカル湖を右に見てイルクーツクへ。ある朝、ピョーという汽笛の音で目をさます。
窓を開くと目に入る石炭の山、チェレンホボという炭坑町へ着いたのだ。シベリアは囚人の町と聞いている。重労働何年という人が送られてきたところだ。囚人を収容した場所だろう、周りを鉄線で囲み、四隅に高い見張台がある。中に半地下式の建物が並んでいる。一棟300人位入る二段ベットがが通路以外はびっしりとある。ペチカが両入口と真中と三つある。窓はガラス四枚の半窓が二間おき位にある。部屋の中は暖かい。休みなく石炭を燃やす。シベリアの捕虜生活で私は初めての冬を迎えた。

 太陽は全然暖かくない。8時30分頃の日の出で4時には西の空に入ってしまう。太陽が頭上に来ないのだ。雪は降っても積もらない。サラサラと風に吹かれて一日中とんでいる。土はどこまでも凍っている。ツルハシで岩を砕くのと同じだ。便所は10尺位の穴を掘って作ったが、便は落ちてすぐ凍るので糞の柱ができる。それをつるはしでこわして捨てに行く。氷の柱をかついで行くようなものだ。食事は黒パン1個とエン麦のおかゆ一杯が朝食だ。ポケットにパンを入れておくと、こちこちに凍っている。夜はシラミと南京虫にせめられる。夜中に下着を脱いでペチカの上ではたくと、パチパチと落ちる。やがて発しんチフスに全員がやられる。

 この冬50万人のうち5万人以上がシベリアの土となった。一人ひとりの墓穴を掘るわけにはいかない。岩の如く凍った土だ。屍室がいっぱいになると大きな穴に一緒に入れてしまう。そして、ようやく春を迎えた。暖かい月は、6、7、8月の三ヶ月だ。この時期は、コルホーズに草刈りに行った。約30人位が、村の学校といっても一教室しかない所に泊り大鎌で毎日、草を刈るのである。炭坑からみれば、この作業は天国だった。馬鈴薯は半地下式の倉庫に貯蔵する。帰りはトラックに乾草を積みこんで、この村とも永久にお別れだ。

 そうこうして二年目の冬将軍を迎えることになった。ことしも又、あのすさまじい寒さの中を生きのびることができるだろうか。深夜作業が始まった。整列して人員点呼をする間中、足踏みをして体中の血液を燃焼させて凍死を防ぐしかない。吐く息は防寒帽のまわりにツララとなる。鼻毛が呼吸のたびに凍りついて動くのがよくわかる。部屋の中にすき間から入る空気は、ヤカンから出る湯気のように一すじの水蒸気となる。作業は零下60度になるまでは、休まない。何人もの凍死者がでた。凍傷で肉がくさるので足の指の骨が見えてくる。深夜作業に行く途中、年配の兵隊は倒れてそのまま凍死した。大隊長も亡くなった。20年の春に入隊した年配の兵は8割かた死んでしまった。
 私は国で百姓であったことを感謝した。農家の仕事は、朝飯前4時起きして河川敷まで草刈りに行き馬の餌をとってくる。夜なべには背の高さもあるさん俵を編む。昼は田起こし、田植え、他の草取りと休む暇もない。そんな労働に耐える体力があったればこそ、今私は生きている。苛酷なシベリアの炭坑作業にも、「生きて望みを捨てるな」というただ一すじの光にささえられて私は21年の冬もなんとかのりきった。
 そして、22年の春、第一陣の帰国が始まった。4月の初旬、私はようやく帰国列車に乗ることができた。チェレンホボから約4千キロのナホトカに向かった。そこで乗船、思いは早くも日本の故郷へ飛ぶ。

ナホトカの港を離れ三月たち
故国みえたり霧の中
大声をあげ手を振って
友と抱き合い泣いたのさ
(「望郷」の一節より)

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