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更新日:2020年11月25日

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「て号作戦」の回想 (赤荻・男性・74歳)

 南京防衛師団としてその周辺の警備にあたっていた我々の部隊は、戦局の変化に即応すべく、上海地区に移動して大場鎮附近の畑地帯に毎日トーチカ構築に明け暮れていら。8月10日頃「て号作戦」の編成を終って、12日上海駅出発。杭州を経て小さな最終駅に下車した。私は、第6中隊の第1小隊長を任命された。
その日の夕方、敵地区の石段を上りつめた寺院の境内で一泊した。皆黒い支那服を着て、背負袋を負った。異様な格好だ。目的地はここから百籵ばかり離れた於潜県城だ。

一、尖兵小隊長
 本隊の最前方を行進する。すでに日本軍の作戦行動は察知されたものの如し、部落には人畜の影も無く、寂莫としていた。いつ何処で敵と遭遇するのだろうか、不安が脳裏をかすめる。

二、母と子供
 夕方と言っても夏の日はまだ暮れない。小隊長以下、木陰の道路わきで休憩をしている時だった。ふと気付くと25才位の婦人が、二人の子をつれて突然我々の目の前に出現したのだ。
 「今頃なぜこんな所に、悪い所へ来たものだ」と思った。仲々冷静な婦人で、全員を見渡して私が、軍刀を持っていたので近寄って来た。そして、二人の子供に「この人にお願いすれば助かる。」と言って私の両足と軍刀に抱きつかせ、両手を地面につき三拝九拝しているのである。
私はしばし考えて、部下に向ってこう言った。「どうだお前達も補充兵が多く年輩だから、国には妻子もいる事だろう。この人達を助けてやろうではないか。」と言うとだまっていた。私は母親に向って、「まだ後方からは部隊が続々と来るから、今のうちにあの山の中へ逃げろ」と山を指さして言ってやった。
母親は「多謝多謝(大変有難う)」と言いながら、飛ぶ様にして視界から遠ざかっていった。

三、8月15日
 松井大隊長は、部下将校を部落端の一ヶ所に集めて終戦の事を知らせた。寝耳に水で一同声も無く、戦意は喪失し、失神状態に陥っていた。然し目的地までは20日頃までかかり、「これから戦死しては犬死だな。」と一人、胸の中で言ってみた。

四、二人の韓国兵士
 小隊の中に二人の韓国兵がいた。「南慶三郎」と「南某」名前は忘れた。終戦の翌日行軍中の休息時を利用してそっと二人を呼び、言った。「南、これからの戦斗では、日本の為に君等を戦死させる事は出来ない。もし、戦いになったら何処か地形地物を利用してかくれ、戦斗が終ったら出てこい。」と分隊長では言えないことを言ってやったら、二人は内心安心したようだった。15日以降は夜行軍中に殆んどの韓国兵は逃亡していた。私の小隊の二人だけは、最後迄行動を共にして私の顔をたててくれた。

五、民族の血
 人影もない町や村を通り過ぎる。ふと立ち寄った家の茶の間に「民族の血」と表題のある小冊子が置かれてあった。中身は「日本軍の残忍な殺人光景を誇大にして写真入で抗日、毎日、最後的勝利」をうたっているのである。

六、甘渓橋附近の戦斗
 18日午前10時頃から50米の川をはさんで戦斗状態となった。幸運にもこちらはとうもろこし畑で、畝間を利用しているので、敵軍は頭上高く飛んでいて、そう危険な状態ではなかった。ふと気がついた事だが、敵はこちらが射撃しない限りうって来ない。「終戦だというのに日本兵のおろか者よ」「いいかげんにしろ」と言っている様な気がして来た。
 私は敵意を察して、一同を後方50米位の二階建の農家に三々五々集合する様、今隊長に指示した。安々と農家に引揚げ、二階の窓に軽機を備えて本隊へこの旨報告して今後の指示を待った。

七、東洋鬼子(東洋の鬼)
 この奥地へ来て日本の事を東洋人(トンヤンレン)と呼んでいる事を知った。19日頃になると部落にも人影がちらほらして来た。日本が無条件降伏した事は皆知っているのだ。
 休憩していると子供達も近よってくる。向こうの方から「東洋鬼子来了(東洋の鬼が来た)。」と言いながら走ってくる子供がいた。我々の事を言っているなとは思ったが、「東洋鬼子」とは誰だと聞いてみた。その少年は憎々しげに私の顔を指さして「お前だ」と言う。私は黙って視線を少年からそらした。

八、於潜県城
 20日の昼頃、目的地の於潜県城に到着した。広場には大部隊が集結して休んでいた。我々の部隊は一番遅かった様だ。やがて将校集合の声がかかり全員一か所に集合した。
見れば支那軍の中将が馬からおりて、二列横隊に列んでいる将校等に、一人一人握手をして来るのである。私は気が進まないので後列で小さくなっていたら、私の所まで手を差しのべて握手をして来るのである。言い様のない気持が五臓六腑ににえくり返っているのを感じた。

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