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更新日:2020年11月24日

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英霊 脚でご帰還 (吾妻・女性・67歳)

 M町を出てから一時間ほどになる。
ゆっくりと歩いたつもりだが、村境の馬頭観世音の前に立っていた。うしろにそびえ立つ姿のいい松の老木も数年前とちっとも変っていない。かすかに松風の音さえ聞こえる。幸治は複雑な思いで、この松の太い根元に腰をおろした。

 昭和20年も、わずか一か月ほどで暮れようとしていた。空はどんよりと鉛色に曇り、今夜あたりは雪かもしれない。久し振りの雪景色を見られるのも嬉しい。生きて帰り、老いた両親に逢えるのは何よりうれしい。だがどんな顔して家に帰ろうかと、先ほどから同じことを堂々めぐりに考えていた。

 幸治は生来陽気で楽天的な男である。が、きょうほど複雑で深刻な日はない。やがて彼は、煙草をゆっくりと心ゆくまで吸うと立ち上った。
わが家には暗くなってから帰ろう。それまでどこかでときを過ごそう。村に入ると、ほどなく隣のウメ姉が分家になって住んでいる。あそこで一休みして家の様子を聞こう。そう心にきめると、小高い観世音より下り道を村里の方へとやや急ぎ足でおりだした。
眼下に転在する山狭の家々は、何ごともなかったように静かで平和そのものである。とうとう帰った。生きて帰った。本当に生きて俺は帰った。
 彼が横須賀の海兵団に入団する5年ほど前に分家になったウメ姉の庭にさしかかると、つい元気のいい声で
「ウメ姉!!」と呼んだ。
「はーいョどなたさんで?」と思い車戸があき、40になってもなおあどけないウメのニコニコ顔に、幸治はすっかり嬉しくなり
「姉!!俺だ!!幸治だ!!生きて帰った」
とたん丸顔で健康そのものの彼女の顔からサーッと血の気がひいた。
「幸治?お前まさか!!戦死したのにお前まさか!!まさか」
ウメは柱にしがみついて絶句した。
「ウメ姉!!本当に幸治だ。驚くのも無理はない。くわしく話すから、家に帰る前にお茶ッコご馳走してや」
彼女はしばし呆然として返事ができない。これは一体どうしたことだろう。もしかして幸治の亡霊かもしれない。上から下までどうみても幸治そっくりである。うす気味悪いが度胸をすえて、一応家の中に入れることにした。囲炉裏に太い薪を数本入れ
「まァ、きょうは寒いからこっちで」とおそるおそる招じた。
ウメは幸治の方を時々観察しながらゆっくりとお茶を入れた。お茶うけに白菜漬とたくあんを丼いっぱい出すと
「あーあ!!久し振りだ。うまいうまい」といいながらボリボリと音をたてながら幸治は食べている。幽霊が漬物を食べるだろうか。もし幽霊でなければ狐狸かも知れない。燻すと逃げ出すという話を子供のころ聞いたことがある。
ウメは燃えている薪をわざととり出し灰におしつけて惨々煙を出しても
「なんでそんなに煙すや」と幸治は目をこすりながらいう。たしかに涙も出ている。
「お前、幸治だなんて信じられないよ。この春遺骨が届いて、りっぱな村葬だったデ」
「うん。原隊できいてきた」
「あの遺骨箱に何が入ってたのや」
ウメは何をどう信じていいのか、すっかり動転してわけがわからない。生憎く夫は出かけ留守である。隣の部屋で勉強している息子の祐二にそっと聞きに行った。
「祐二あれ、ゆうれいと思うか?」
「母ちゃん、ゆうれいなんかでない。本当の人だよ。」
とこともなげにいうので些かほっとした。

 幸治の語るところによると、彼の乗った駆逐艦が南方海上で撃沈され、辛うじて小さい無人島に泳ぎつき、椰子の実や魚で飢えをしのぎ戦後まもなく救助されたという。
「俺泳ぎうまいから幸い助かったのさ」幸治は心から嬉しそうににっこりと笑った。そういえば子供のころ「幸治はカッパのような童子だ」とよくいわれていたものだ。

 ウメは急に幸治に近づくと、彼の脚をひざから脚もとまでスルリとなでて叫んだ。
「あ!!脚ある!!あったかい脚あるから幽霊でない。お前本当に幸治だ!!」
二人は囲炉裏の框を叩いて笑いころげた。ウメは早速息子を幸治を家に走らせた。
「本当に幸治生きて帰ってきた。夕飯うんとご馳走作って待つように」と。これを聞いた彼の老いた両親は、すっかり驚き、あわて、どう信じてよいのか、てんやわんやの大騒ぎになった。とにかく、どういうことかわからないができるだけご馳走をたんと作るよう長男の嫁に指図して待った。老母は幽霊かも知れないと本気で思った。それでもいい。幸治の姿であればひと目逢いたい。この母は幸治の戦死の公報が入ると「30にもなったのに、嫁もとらずに死なせたのが不びんだ」といって泣きくずれ村人の同情をさそった。あれから10か月。なんでもいい、早く逢いたい。

 晩秋の日暮れはことのほか早く、やがて5時をすぎるとあたりの家々にも燈がともり、山里の夜はいたって静寂で幸治に家だけが異様な雰囲気につつまれていた。老父は耳が遠いので玄関近くで一時間以上も座って待ち続けていた。兄の清作もその長身をもてあますよう家中うろうろ歩き廻っている。
庭先の方でたしか人の気配がしたと思うと
「ただ今。幸治だ!!生きて帰った!!」まぎれもない息子の声に父は暗闇の庭に、裸足でとび出した。そして母家に向って大声で叫んだ。
「ばっちゃ!!早く提灯もってこい!!」老母はあわてて奥に引きかえし、提灯に灯を灯そうと何回もマッチを擦るのだがローソクになかなか火がつかない。体が小きざみに震えている。やっとのこと提灯を片手に玄関にたどりつくと
「ばっちゃ!!提灯あげてようく脚の方見ろ!!幽霊だったら脚ないぞ!!」と声を張りあげた。
「脚あるョー 黒い皮靴はいている。たしかに脚がある!!」
「そんなお前ゆうれいでないナ。本当に幸治かも知れない。とにかく早く家に入れ」といいながら息子の手をとった。
幸治はおかしくても笑えなかった。この素朴な老父母の疑惑と戸惑いは当然であろう。

 長いこと玄関に座り待ち続けた父の手は決して温かいとはいえない。だが「入れ」といいながらやさしく手を握ってくれた父のぬくもりに幸治はおもわず涙を流した。
その夜、親子は川の字になって眠った。もし幽霊や狐狸ならいつ消え失せるかもわからない。部屋の出入口の方に父親が眠るという周到さで、まんじりともせず無事夜が明けた。傍に幸治がぐっすりとかるい汗をかきながら眠っている。夢でもない。ゆうれいでもない。こんな嬉しいことってこの世にあるのだろうか。戦死した息子が本当に生きて帰ったのだ。後日この父は
「70年の生涯であれほど嬉しい思いをしたことはありません。この世にも極楽はあるものです」と村人に述懐した。

 やがて幸治を囲み、いつにない賑やかな朝食がすむと父親がいった。
「幸治の墓碑、きょうとり壊したい。」
それがいいと、お祝に駆けつけた二人の叔父たちも加り、昨夜積った初雪をかき分けながら幸治達は菩提寺に向った。
境内に入り墓地に近づくと兄は笑いながらいった。
「幸治、あれだ」と指さした。幸治は急いで近づき、あまりにも立派なその墓碑に驚いた。
「兄貴、随分立派なもの建ててくれたなァ まるで何様かの墓のようだ。無理したなあ」
「いやァ、それほどでもない」兄はちょっと頭を振り、例の照れ笑いをしてうつむいた。幸治はじっと碑に刻まれた文字をていねいに読み終えると
「一丁やるか!!この野郎!!」威勢のいい声とともに矢庭に足で力いっぱいけった。
「幸治!!罰あたるから止めろ!!」兄があわてて制したが、「仏も入っていないのに、なに罰なんかあたるものか!!」
幸治はさらに渾身の力をこめてけった。

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