昭和16年11月20日、37歳で充員召集を受けて呉海兵団へ入団した。まさかこの年令で、召集なぞ受けるとは想像だにしていなかった私である。しかし衛生科召集者指定の溜りの兵舎へ来て見ると驚いたことに30代は、疎か50才に手の届きそうな先輩兵たちがにこやかな笑顔で迎えてくれたのである。
私は今まで人ごとのようにボヤいていた気持に、内心気恥しさを覚えた。お互いに十数年ぶりに再会した感激と懐しさに、瞼が熱くなる思いで堅く手を握り合ったものだ。軍隊というところは、なかなか考えたもので、現役を務めた兵隊を召集すれば、改めて訓練する必要もなく、そのまま使いものになる。したがって年令にこだわることもないかも知れない。
頭数を数えたところ、下士官兵を合せて凡そ30名ばかり、これでおそらく衛生科は根こそぎ召集されたであろう。かくて次々と召集されてくる召集兵の身体検査に狩り出され、あまり退屈する間もない、これら応召兵は主として兵科、機関科、そして主計科と軍薬科だった。
やがて12月8日ー突然的に米英に対し宣戦布告が発令され遂に戦争に突入したのであるが、一瞬一同は緊張したものの一向に音沙汰のない一同は、ふんまんやりかたない語り合いで終始していた。
そして昭和17年の正月を迎えた1月9日、やっと転勤命令が発表され、私と立元二衛曹に田中衛兵長の3名は、第一艦隊付神祥丸に配乗された。目的の神祥丸は、工廠ドックの岸壁に繫留された6.7千噸級の貨物船だった。案内された船室は広かったが、舷側沿いに据えてある下士官用のベットは、たるき作りの実に粗製乱造の三段組立てが3台あった。
船内の中央の位置には石炭ストーブが赤く燃えて、先着の下士官ばかりが12、3人遠巻きに雑談に賑やかである。(そーらーまた消耗品が3人乗って来たぞ)と、いわんばかりに私たちを見て笑いながら、それでも2人が掛けるように、場所を空けてくれた。兵は前部の船室らしい。これら下士官たちの会話を聞いて、そのアクセントからこの補欠班は各鎮混合編成部隊と分かった。
再びストーブ談議が弾んだとき、一人の下士官が飛込んで来て、「この船は兵員の輸送船ではなく目下魚雷の搭載中だ。」と報告した。魚雷の輸送船となりと大変である。一同は甲板に上って見ると、なるほどクレーンで6基の魚雷を搭載中であることを知り、全身の凝結する思いをした。仮に輸送中、一発の砲弾を受けても、魚雷一発喰らっても、搭載中の魚雷を誘発させ、それこそこっぱ微塵になることは必至であろう。
その翌日、折かく積み込んだ魚雷が陸揚げされている。おかしいと思っていたら、船底の魚雷支え板が6基の重量に堪えず陥没したという。これで早くても2週間の命は延びたわけである。が、一同がほっと胸を撫で下ろしたのも僅かの日数に思えた。修理完了で再び搭載が始った。こんどこそ度胸を決めなくてはならないのだ。一同は、口先きでは虚勢を張ってはいたが、内心は戦々恐々でいたに違いない。
が、運というものはおかしなもので、2度目の搭載もまた失敗に終った。こんな不始末続きで業を煮やしたのか、第一艦隊付を解除した。従って補欠班も解散となり、それぞれの所轄別に転勤することになって、1月30日付で私は、戦艦日向へ勤務命令を受けた。
大体応召兵は徴用船と決っているらしいので、この転勤命令は間違っているのじゃなかろうかと、半信半疑の気持で医務室へ行った。医務室は、軍医長の中佐一、部員の中尉一、医少尉二、薬剤少尉一、他に看護長の高橋衛少尉一、下士官は私とで4名、兵は9名であるが、もちろん私を除いてみな現役兵だった。ただ、高橋衛少尉は、私より2年若い兵隊である。部員たちは、私が看護長より古い兵隊と知ってびっくりした様子である。
何分11年のブランクがある以上、差があるのは当然だろう。問題は古兵なるが故に遠慮して仕事を与えてくれない。仕方がないので隣室の軍楽隊の練習室へ行く以外に仕方がないのだ。1月30日、日向へ乗艦して日毎こんな調子で過した。
3月5日突如小笠原方面へ敵機動部隊出現の情報は、内地在港中の戦艦伊勢、日向及び重巡2隻と駆逐艦6隻は急遽出動した。20ノットの速力で目標の洋上で、敵艦隊を探索すべく彷徨した。
そして3日目を迎えたが、敵艦の影も見当たらない。その8日この日、偵察機が墜落したとの報告が艦内へ流れた。私はすぐ様、甲板へ出た。風速6米程度だが波浪は意外に高く、その波間に漂う偵察機は、高浪に翻弄されている。
しかしこの高浪では、救助不可能と察知したのか救助ボートも降りる気配もない。ただ戦艦2隻が偵察機の周辺を微速で一周したものの、この海域で停止は危険である。即ち敵潜の游よく海でもあり、特に敵機動部隊を追撃しなくてはならない使命の前、偵察機一機を見殺しするのも止むを得ない仕儀かも知れない。カタパルトから発射したこの一機、哀れであるが、これが戦争というものかも知れない。
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