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更新日:2020年11月24日

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昭和20年夏の体験 (三里塚・女性・62歳)

 昭和20年4月8日佐世保海軍工廠が白昼B29の爆撃を受けた。
 軍港佐世保に生れ育った私は、始めて爆弾投下のすさまじい音響を耳にした。
 私は高等女学校を昭和17年の春卒業して佐世保海軍軍需部第2課に理事生として勤務していた。爆弾を投下されたとき、あまりの恐ろしさに椅子にあった座蒲団を頭にかぶり、机の下にしゃがみ込んでしまった。海軍軍人は戦争で体験しており「あっ今のは爆弾が落ちた」と平気な顔をしていた。
 昭和20年4月と言えばもう戦争も末期の状態で事務室は軍人と女の理事生だけが残り、若い健康な男子は殆んど戦場に駆り出されていた。銃後は私達の手でと防火訓練や避難訓練を必ず一日一回はやらされ、毎月総進軍の月とか決戦の月とかを目標にして残業残業の連続で身も心もくたくたに疲れ果ててしまった。

 私の勤務場所が海軍の基地なので特攻隊の姿を時折見かけた。その度に胸がじんとして最敬礼をした事を覚えている。このときの軍人こそ新聞で報道された、特攻震洋隊の方々だった。国のため命を捨てた尊い姿は、まるで生神様の様で40年の年月が流れても忘れる事はない。
 この頃、しきりに本土決戦の言葉がでるようになり、戦果はかんばしくなく悲しい暗いニュースばかりだったが、それでも日本が負けるとは夢にも思わなかった。

 昭和20年6月28日、その日は需品の分散で男子や軍人にまじって三河内方面までトラックに分乗して出勤した。農家の倉庫に分散し作業が完了して、雨の中を帰宅したのが夜9時を過ぎていた。私はうす暗い電灯の下で一人食事をすませ、泥んこになったモンペを着替え、枕元に防空頭巾を置き、いつの間にかぐっすり寝込んでしまった。「早く起きなさい、いつもとは外の様子が違う」という母の大声で私が飛び起きた瞬間、空襲警報のサイレンがけたましく鳴り響く。外は一面真黄色で気味が悪かった。父が「あっ焼夷弾だ」と叫ぶ。私たちは戸惑いながら、お隣の横穴式の防空壕にひとまず避難した。顔見知りの人たちが無言で恐怖に怯えている。

 私たち家族は、一応身の廻りの品を用意する為、我が家に戻った。家の中は真暗でやっとタンスの引出しからブラウスと下着類を取り出し、私だけの写真帳を手さぐりで探し当て風呂敷に包んだ。準備を終えて又防空壕に急いで引返した。その時、物凄い爆弾投下の音がしたと同時に防空壕の入り口に火の雨が降ってきた。みんな震えあがった。その時奥の方から「早くここを逃げなさい。蒸し焼きになるぞ」と父の声。
 私達もうこれ迄と死を覚悟して、思い思いの逃げ場を探した。町内の防空壕は満員で入られず、高台の空き地に避難した。私はこの高台で焼夷弾投下炸裂の一瞬をこの眼でもういやという程見た。あれがまさにこの世の地獄というものだ。下から吹きあがる火と煙をタオルで払いながら、炸裂する上を飛び越え、ふりかかる火の粉を手で払い、やっとの思いで逃げ場をみつけ、小さな溝の中で命を拾った。
 夜があけ、爆音が遠ざかったとき、その辺一帯は焼野ヶ原だった。顔も手も泥だらけで靴も下駄もぬげていた。焼跡にあった下駄をはいて、私の家族は避難民の姿で駅の方向にむかっていた。その時私の勤務先である第二課の部員吉野少佐とばったりと出合い「工員宿舎に避難せよ」と指示を受け、日字の工員宿舎に2泊して私の家族は、燃えさかる佐世保を後にした。

 8月12日久しぶりにお盆休みを取り、母のいる大村に帰った。私は父と2人で衣類に困った為、母の親類にあずけておいた布団を受取るため、私がリヤカーを引き父が後押しをして出かけた。
 途中の畠の道で機銃掃射をうけた。あっと言う間にもう、飛行機が低空で飛来した。木のかげにかくれたが、弾が続けざまに投下され、2人は生きた心地はしなかった。滑走路には練習機(赤トンボ)見たいな小さい飛行機が森の中に格納されていた。その中から飛行服に白のマフラー、日の丸のハチマキを結んだ年令20才ぐらいの可愛いい軍人が降りてきた。その頃大村航空隊から毎日沖縄方面に飛立っていた特攻隊の一人だ。私は空襲と機銃掃射で二度命拾いをした。二度も死を覚悟した私の人生だから、想い出を大切にして悔いのない人生を送りたいと思っている。

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