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更新日:2020年11月24日

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東部第86部隊へ入隊して (加良部・男性・66歳)

 昭和20年3月9日、東京へB29の大空襲があり、油脂焼夷弾による火災は翌日まで続く。東部86部隊(鉄道連隊)第3中隊の我々兵隊は、翌11日に東京小名木川駅構内へ死体処理に出動する。本所、深川は一面の焼野原、焦土と化した東京、新小岩の土手上線路脇に、焼けこげた死体が何体も何体も転がっていた。
 猛火にあぶられ、着衣はすっかり燃えつきている。ハダカで転がっている老婆は、しっかりと戒名が記された位牌を抱いて死んでおり、思わす手を合わせた。小名木川駅のドックには、幾重もの死体が浮いている。構内の死体の山を、火葬の術もなくドック前の広場の空地に大きな穴を掘り、埋葬というよりも捨て去るのが精一杯だった。戦争は、我々から多くの物を奪い去った。なぜ、罪のない人々を殺傷せねばならないのか。しかしその反面、戦時体験は私に多くのものを教えてくれた。
 勝たずば断じて巳むべからずの精神を叩き込まれ、何事にも途中で投げ出されぬといった耐える力を与えられた。これが後年私の生きる上での力になったことは確かだ。

 昭和18年4月、当時22才の私は、国鉄成田線安食駅の出札係として勤務。徴兵検査で第1補充兵だった私に召集令状が来た。私の弟は、北支駐屯歩兵第3連隊(極部隊)に出征していた。母は、名誉なことだ、お国のためしっかり頑張んだよと言って、いつ作ったのか千人針の腹巻と、酉年生まれの私の守り本尊、お不動様のお守を肌につけてくれた。その日成田駅は、出征者を囲む人垣が渦を巻いていた。すべての人が、「勝ってくるぞと勇ましく、」の軍歌を絶叫していた。

 入隊先は、千葉市轟町椿森の東部第86部隊、第3中隊第8内務班へ。中隊長峯尾中尉、内務班長山本軍曹殿。軍服、軍靴、作業衣など身につけるものが貸与され、それらの品を整理整頓し、軍服を着ると立派な陸軍2等兵である。2日目に軍隊のオアシスといも言われる酒保へ、古年兵殿に引率されて行った。2年兵、3年兵にとってはオアシスでも、右も左もわからない初年兵には鬼よりこわい古年兵がとぐろを巻いている場所。オドオドしながらも甘味品を買い求め、急いで中隊へ帰る。ところが似たような建物が並んでおり、誤って隣の2中隊へ入る。古年兵に8隊の迷い子が来た。送ってやれ・・・、入隊2日目にして早くもビンタの洗礼。さらに3日目の点呼の際、初年兵の一人が略帽を入浴場で紛失したとの理由により、全員が一列横隊になって古年兵から注意を受け、「歯をくいしばれ」と言うや、上靴(スリッパ)ビンタが飛んで来た。軍隊では、各人が貸与された員数を確保しておくことは絶対命令であり、何かを紛失したら盗んでも揃えなければならない。盗まれた者はまた他の中隊から盗む、見つかれば殴られる。
 点呼の時間は古年兵からの教育の場でもある。一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし、礼儀を正しくすべし、武勇を尊ぶべし、信義を重んずべし、質素を旨とすべし等、軍隊の勉強は全て暗記であり、命令と同時に動作ができるよう修練される。

 家庭を、職場を、全てを捨てて裸一貫で命を国に捧げた初年兵が、軍紀の厳正という名のもとに、一部兵隊の私的制裁に苦しめられ、苦痛のあまり脱走、自殺するものが続出した。誠に悲惨である。毎日の徒歩教練、執銃教練、銃剣術、射撃訓練、荒木山での鉄道施設訓練・・・に明け暮れた3か月間、部隊長の検閲が終って数日後、一緒に応召された補充兵全員に一装用(新しい)軍服が貸与され、インドシナ半島のタイメン鉄道建設のため、鉄14部隊が編成された。ところが私一人、その部隊から外された。
私は泣いて山本班長殿に野戦行きを志願したが、許されるはずもなく、「お前には特別の教育があるため、隊に残すことになっている。」という説明を受けた。その後、私は検車兵として他中隊の同年兵と共に教育を受けに派遣される。教育終了後、水戸駅構内にある派遣隊の初年兵教育助手として派遣され、20年3月に千葉の本隊へ帰る。弟が北支茶陵において戦闘中、頭部貫通銃創で戦死したとの報を受ける。

 20年7月6日、千葉市にも空襲があり、部隊兵舎焼失、材料倉庫が兵舎となる。敵機よりの機銃掃射になすすべもなく、たこ壺に逃げ込んで身を隠すのみ。空襲後戦友を火葬に伏し、東の空を見やって鬼畜米英と涙を飲んでさけぶが、戦況はすでに明白。20年8月15日終戦。9月、3番目の弟と共に前後して復員、ともに国鉄に復職する。

 戦後42年が過ぎ、平和で豊かな国、日本、この平和で幸せな繁栄は、戦争で犠牲になった方々の尊い礎の上に築かれていることを忘れてはならない。戦争は再び繰り返してはならない。

 永遠の平和と自由、世界の平和を願いながら、毎日仏前に般若心経を唱え、戦死した弟をはじめ多くの戦争犠牲者に線香をあげて、心から安らかにお眠りくださいと両手を合わせて拝んでいる今日この頃である。

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