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更新日:2020年11月24日

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従軍 (東和田・男性・64歳)

 まだ原子爆弾が広島にも長崎にも投下されず、ソ連軍が国境を越えて満州(今の中国東北部)に南下侵略して来ない昭和20年5月、私は神奈川県横須賀市にある海軍横須賀砲術学校に、水測科練習生徒として入校しておりました。

 6月に入ると、私たち練習生も新しく創設される第15特別陸戦隊に編入されることとなり、私の所属する第2大隊本部を横須賀市衣笠にある工業高校と定め、すでに学徒出陣や勤労動員などで空家同然となっている校舎を兵舎や倉庫として使用し、日夜激しい訓練を続け、特に対戦車に関する訓練は”あんぱん”と称する爆薬を背中に貼り付けて敵戦車に向かい、我が身もろとも爆発させる肉弾特攻訓練である。

 私は従兵(当番兵)で、大隊長石井少佐の世話係であったが、或る日のこと大隊長から水交社(海軍将校用の酒保、PX)へ買い物を命ぜられ、「海軍公用」の腕章を誇らしげに巻きつけて、喜び勇んで横須賀市内に向かった。大隊長の新しい陸専用の軍服に付ける階級章(海軍少佐)と短剣用帯革の一部の購入を命ぜられた私は、水交社よりの帰り道、ふと同年のみんなと逢いたくなり砲術学校に行き、同年兵隊達と雑談中突然警戒警報が鳴り渡り、まもなくけたたましいサイレンは空襲警報と変わり、横須賀市内に響くと砲術学校内も騒然となり、右往左往する兵隊の頭上部米軍のグラマン機や双胴のロッキード機などの機銃掃射が始まり、砲術学校の内外もたちまち修羅場と化した。すでにみんなと別れ別れになった私は、見知らぬ年老いた水平と折よくどこかに運ぶであろう毛布を搭載したトラックの下に潜り込んだ。
砲術学校の裏手には特殊潜行艇”回天”の基地があり、数隻の特潜艇が停泊していたが、この方はどうやら無事らしい。けれど、岬にある弾薬庫は、すでに火災に包まれていて、ドカンドカンと盛んに誘爆を続けている。と突然、主計課のある建物の方ドドンと特に大きな音がして、砲術学校全体を大きくゆるがした。爆弾が落ちたらしい。この時の直撃弾で、多くの日本海軍将兵が爆風のために圧死したという。

 8月15日終戦放送は、この地で聴いた。先の太平洋戦争を人々は、いや日本人までもが「侵略戦争」と言い、「一億日本人総懺悔せよ」と叫んでいた。しかしそれは大きな誤りで、私達は決してその”侵略戦争”に自らすすんで手を貸した訳ではない。戦争は侵略戦争?であったか知らないが、私達日本人にも案外と被害の記録が多い。シベリア、満州、中国、南方、北方と、見知らぬ土地に朽ち果てる何十万、何百万の戦友同胞は、その死骸すら祖国日本に帰れず、異郷の地水と風化して、哀れにも風雨にさらされている。今、戦争の体験を語り継ぎ、いまわしい戦いの記憶を想いおこすとき、戦争犠牲者の心の傷痕は深く大きく、戦後40年になる今日も癒すことはできない。

 米国は大戦末期、すでに勝利を予測し、日本国土に上陸準備として日本の古都京都の焼土を避け、帝都を守る横須賀軍港に対しては、最少限ただ一回限りの襲撃で施設の温存を図った節もある。軍港横須賀の空いっぱいに、高く低く縦横無尽に我がもの顔に乱舞する敵機の機銃掃射や爆弾投下などはものすごく、飛び散る銃弾や炸裂する破片とその轟音、炎上する兵舎や倉庫群、悲鳴と叱咤激励の怒号、漂よう火薬の臭いと大地に滲む真赤な血糊、ちぎれた肉片と手足や胴体と散乱する物品のすき間を次第に埋めてゆく兵士たちの血潮、残忍にも粉々に砕かれた人間の骨の残骸等、先程まで語り合っていた戦友達の無残な戦死に、ただ茫然自失、阿鼻叫喚、残酷の一語に尽きる地獄絵図の中の、友との悲しい惜別でありました。楽しかったカッター訓練、指先から血の吹き出す吊床競技、海軍式教育痛烈なバッターの責苦、辛い団体制裁と健闘した棒倒しや辻堂演習など、灼熱の炎のごとく燃ゆる青春の血潮の中に残る海軍生活の楽しかった思い出とともに、その面影など40年経った今日もなお、網膜脳裏に焼き付いていて、走馬燈のように駆け巡る。

 故郷を遠く離れ、戦友と肩を寄せ合い折に触れては語り、そして唄い、心の支えとしてきたのは、常に忘れることのできない故郷の人々や土の香りとその風物誌、緑美しい山や川でありました。故郷は遠くたとえ貧しくとも、そこは厳しい父ややさしい母、兄弟、幼な友達の待ちわびる懐かしの故郷であり、そして帰るべき大地であります。ただひたむきの祖国愛と、後に続くを信じて散華した多くの戦友たちの死を不憫に思う時、残忍で非人道な戦争に対して本能的に険悪と警戒心を強め、被害者の実情と記憶とを風化させてはならず、悪逆非道のこの所業、再び許すまじと思うのであります。

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