年令16歳で三重航空隊奈良分遣隊へ大東亜戦争最後の6月に入隊。
兵舎は天理市の天理教の建物でした。終戦も間近な頃で、飛行機は練習機もなく、正に翼なき予科練でした。
毎日、爆弾を抱いての対戦車突入の訓練と、防空壕作りの連続でした。入隊後は、呼び名も「貴様と俺」。階段は2段ずつ飛び上がり飛び降り、歩行は速足、何事も敏速に、自分の事は自分で。
わが班は72分隊第6班、班長以下40名。何事も負けるることは許されず、一人の反則でも「連帯責任」で、罰則が待っています。
まず班長の精神棒(約90センチの樫の棒)で、倒れるほどになぐられます。また、「歯をくいしばれ!半歩開け!」の号令で、頬をちからいっぱい叩かれ、よろめくと、反対側からの往復ビンタです。「前列廻れ右!」で、対面しての叩き合い、少しでも手心を加えると「だめだ!班長が手本を示す」と、またなぐられます。
ある日、2階の廊下から水が洩ってきたので「何だろう?」と見に行ってきた者の話だと、3名がなぐられて気絶し、頭から水をかけられていたとのことでした。このようにすべてが「絶対服従」です。
その後、兵庫県の姫路航空隊に移りました。今度は板の間の本物の兵舎です。甲板そうじの一例ですが、まず全員が一列に並び、班長の号令で、雑布を手に30メートルほどの板の間を、数回往復するのです。疲れが見えてくると、今度は競争です。
1回目は先着10名が1回で休み。それを2回、3回とくり返して、最後に残りますと、動けなくなるまでくり返されます。こんなことから「負けじ魂」が育成されていったともいえるかも知れません。
入隊後、役に立ったことの一つは、手旗信号を覚えたことでした。はじめは大変でした。夜も勉強、毎日が夢中でした。何しろ月月火水木金金の連続で、日曜はありません。
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