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更新日:2020年11月24日

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混乱と欠乏に耐えて (田町・女性・68歳)

空襲

 3月17日玉砕した硫黄島が、アメリカ軍の基地となり、本土は、そこから飛び立つ爆撃機により波状攻撃を受けるようになりました。B29は干潟にある海軍特攻隊香取基地の格納庫を爆破し、空を覆う黒煙の中に無数の火柱が立ち上る様は、地獄絵そのものでした。
 このような激しい空襲の合間を縫う様に、特攻機は飛行場上空を旋回して、やがて小さくなり消えて行きました。かなわぬ願いと知り乍ら、「又帰ってきて!!」私は消えゆく飛行機に叫びながら、手を合わせたのです。
 艦載機、カーチス、グラマンを、操縦する米兵の頭が見える程の低空飛行でした。「己れ憎き奴。」とこぶしを、固めたものでした。機銃掃射は、無差別となり、地上に動いていれば、すぐ射たれてしまいます。
空襲警報より先に、空中戦が展開され逃げるひまがありません。
 その為将校が馬もろとも射たれた、畠の作業中の人が射たれたと、空襲解除と共に、悲惨な報が流れるのです。田んぼには落とされた焼夷弾が見事に畦に突きささっており、とうもろこしの葉は、ササラの様にさけて、その無残な姿に涙がとまりません。
 飛行機場周辺は戦場と化しました。逃げ迷う日々に「今日一日は生きのびた。明日はどうなるのか、父や姉妹に一目逢って死にたい。」と床に就くたび考える毎日でした。

終戦

 昭和20年8月15日、天皇陛下の玉音放送がある事を耳にしながらも畠へ行かなければなりません。途中の山々に、アメリカ軍の落として行った宣伝ビラが、点々と散っていました。「勝目のない戦争だ。一時も早く降参するよう。」と書いてありました。空襲がなく、空は青々と晴れて雲一つない大空を仰いで無気味ささえ感じました。
 静かな半日を畠で過ごした私は、家に帰り終戦を知りました。こんなひどい戦況の中でも決して日本は、負ける事はないと信じていました。耳を疑う様な終戦、瞬間脳裏をかけ巡ったものは、「もう空襲はない。明るい所で御飯が頂ける。夜もぐっすり眠れる。」という事でした。

小さな買い出し人

 終戦について色々なデマが、飛び交う不安の中に、一日々と世の中が変って来ました。
昭和19年にお米一俵の値段が18円50銭、終戦の20年には60円と跳ね上がり、戦後の食糧難時代となりました。配給以外は何もなかった世の中にありゆる物が氾濫し、都会の人々は食糧を求めて鈴なりの汽車に乗り、農村へ農村へと買い出しに来ました。農家の人の欲しいものを持ってお米との交換が、一番手に入りやすかった物々交換でした。
 或る夕方の事です。「お米と取替えて。」と可愛いい声に飛び出して見ると、まだ小学校へも行かぬ幼子が、小さな包みを抱えて立っていました。包みの中から一足の地下足袋をとり出し、「お米三升ととり替えて。」といいます。地下足袋はいらないからお米一升を、包んで上げたが、受け取ってくれません。
 お話によればお母さんは、空襲で死んでしまった。お父さんは病気でねている。錦糸町から買い出し部隊にまじって、お米が沢山とれる干潟へ降りたといいます。「それではおにぎりを上げる。」というと目を輝かせて「朝から何も食べていないの。」と云って縁側に腰かけて足をぶらぶらさせ乍ら、おにぎりを口いっぱいにほおばり嬉しそうです。
 干潟駅へは、一里半もある。「行き着けなかったら帰っておいで。」というと、かすかな返事をして、夕暮の道に小さな姿は消えました。
 夕飯を戴いていた時、戸外に声がして、さっきの子が、ぼんやりと疲れた様子で立っていました。あれから2時間も、お米を求めて歩いていたのです。風呂から上がり、赤い着物を着た男の子は家族の中に入って一時の家庭の平和を味わっているいじらしい姿でした。東京で小さな子を案じ乍ら、帰りを待っているお父さんの事が、気がかりでたまりませんでした。
 三升のお米を背負って、サヨウナラと手を振っていたいじらしい姿。きっとお父さんの元へ、帰ったであろう。そう信じて40年余りが過ぎました。戦争と云う過酷な試練。二度と繰り返してはなりません。私には、今でもあの食糧難時代が思い浮かびます。現代の光景を見たらあの子は、何と答えるでしょうか。晴れ上がった上空には、日本、外国の飛行機が成田の空に雄姿を見せています。
 外国旅行をした人々が、いっぱいのお土産を持って、帰って来たのでしょう。「平和とは素晴らしい‼。」今この平和の陰に、国民大勢の尊い生命が失われている事を忘れてはならない、と思いながら感謝の日々を送らせて戴いております。

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