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更新日:2020年11月24日

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終戦25日前の召集令状 (南羽鳥・男性・77歳)

 忘れもしません。それは昭和20年7月21日でした。満34歳。終戦の僅か25日前ですから、もう最後の召集でしょう。
 「赤紙」といわれたあの召集令状を手にした年、私には、小学3年と5年の子供に妻、それに70歳近くなる親がおりました。その当時、私は、地区の防衛隊で召集前から陸軍二等兵を命じられており、青年学校の銃で訓練を受けていましたから、この令状には割合平易な気分で「俺も来たか、じゃ行くほかねえな」と、自身は気軽に対応できたのですが、残された家族のことを思うと、やはりいろいろと考えさせられましたね。
 間もなく、8月12日に甲府連隊へ入れという通知がきて、万歳に送られ、この地を出発したのが11日。この時、私と懇意にしていた読売新聞社の人が安食駅まで見送りに見え、窓から首を出した私に耳打ちをしたのです。

 「日本はポツダム宣言を受諾したぞ!」

 日本が降伏したことを知っていたんですね新聞社は。
それから正式な詔勅を聞いたのが3日後の8月15日。山梨県北巨摩群の国民学校でした。真夏の炎天下、直立不動の姿勢で校庭に整列させられ「今日は陛下が一億玉砕を放送する」と上官殿の号命で総員ラジオへ釘付。
 しかし、ガーガーピーピーのこのブッ壊れラジオと詔書の内容が理解しにくいのとで、真意は今ひとつ伝わってきませんでした。が、突然、兵は郷里へ帰れ、という命令と士官学校出身のバリバリの将校が泣いているのを目の当りにして「やっぱり負けたんだ」と・・・。
 歌に唱われた軍律厳しい軍隊も、こうなると規律も保てないほどに弱体化著しくなる。「男は全員アメリカに連れて行かれる」とまことしやかな流言飛語が飛び交い、翌日から逃亡兵が続出。それに、「軍隊手帳から日の丸の旗まで軍に関するものは総て燃やせ」という隊長や中隊長の命令に毎日大あわてだ。これがあると上陸したアメリカ軍に捕まるという事でしょうか。

 それに食べ物が極端に不足したのもこの時です。最初は兵隊さんがかわいそうだということでご近所農家の炊き出しもあったのですが、農家にも食べる物がなくなると、最後はジャガイモが一日に2個。やっと生きていたという感じでしたね。お陰で半月で約7キログラムもやせました。
 軍隊も威勢のいいのは戦時中だけで、負けてしまうと、まるで乞食みたいなもの。夜、畑で夏大根を盗み、手でワシづかみのままガリガリかじったり、山の動物を食したり、飯盒一つ、水筒一つもなくなってしまったんですから―。

 この後、郷里へ帰ってきた訳ですが、当分の間虚脱状態が続いていました。これから先何をすればよいのか、何を目標に生きていけばよいのか。日本はこの先どうなってしまうのか。まったくわかりませんでした。ただ食うためには働かなきゃならないということだけははっきりしていましたが。
 やがて私は県の仕事で再起することになりましたが、指導にあたる役人自身も復興の目処が建たないという状態で右往左往しておりました。
 ここで見た光景も軍隊の時のそれと、まったく同じだったのです。真っ先に行こなわれていた業務は、「とにかく一日も早く、過去の軍関係の書類を一切処分すること」でした。それがアメリカ軍の手から逃がれ、捕まらない方法だと、ここでも誰かが命令したのでしょうか。なりふりかまわぬ役人の姿は実に印象的だったのを覚えています。
 敗戦の後遺症は、この後もいろいろな形で波及していきましたが、その中でも食糧不足とインフレは社会的な大問題でした。

 当時の私の給料が50数円。終戦の年です。しかし、翌21年には3度のベースアップがあり、22年の春には360円。10月頃には1800円。暮れには何と3600円にもなってしまったのです。これでも1俵1万円前後の闇米には、とどかない。幸いにして実家が農家だったこともあって助かりましたが、給料だけの方は辛苦の生活だったと思いますね。

 よくよく大変な時代を乗り越えたものです。しかし、平和な今の時代から考えてみると、ここまで、とことん負けて良かった様な気がします。負けはしても、もし当時の軍部が中途半端な形で残っていたら、現在の繁栄はあったでしょうか。
 現憲法はアメリカが作ったものだと批判される方もおりますが、戦争放棄の憲法であればこそ日本はここまで復興したのでは、としみじみ考えさせられますね。

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