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更新日:2020年11月6日

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印旛沼よ有難う  (北須賀・女性・50歳)

「印旛沼との出会い」
 昭和20年4月のある日、成田線の下総松崎と言う小さな駅に1組の家族が降り立ちました。それは、その年の3月20日に東京大空襲で家を焼かれ、埼玉の疎開先から北須賀と言う未知の土地に引っ越しをしようとしている私の家族でした。
 父は背中と両手に持ちきれない程の荷物を持っていて、母は乳飲み子の弟を抱いていました。姉は私と妹の手を引いてくれていました。皆んな防空頭巾を肩にかけ、父は戦闘帽にゲートル、母や姉は和服にモンペばきという物々しい姿をしていました。

 その日の事は、6才の少女だった私の記憶にもはっきりと残っているのです。駅を出ると、私の知らないお爺さんが、牛車を引いて迎えに来てくれていました。家族は皆んな牛車に乗るのは初めてでしたが、駅から北須賀へ通じている堤防の上を、ゆらりゆらりと私達家族を運んでくれたのでした。
 その日は、青空がまぶしいような日本晴れの良い天気でした。牛車に乗ったまま広々とした印旛沼が見え、反対側もやはり広々とした田んぼで、農家の人たちがそこここに働いていました。散り始めの桜が咲いていて、ひばりが空にさえずっていました。とても戦争中とは思えない長閑な風景でした。
 迎えの人が差し入れてくれた真っ白なおむすびの味と、少し甘いにっころがしの里芋の味は、生まれて初めて食べた満腹感の味でした。山も湖も無い、空っ風の吹き荒れる埼玉の平野に比べ、なんと良いところだろうと、子供心に思った事も忘れません。これが、私と印旛沼の出会いでした。

「アメリカザリガニ」
 北須賀に落ち着いてから、姉は小学6年に私は1年に転入学しました。小学校は分校で複式授業が珍しかった事を覚えています。父と母は、少しばかりの田と畑を借り、俄か百姓になって一所懸命働きました。
 収穫が出来るまでは、近所の農家から米や芋、野菜等を分けてもらったのです。しかし、現金収入皆無の両親にとって一日一日が大変なことだったに違いありません。肉や魚を買うゆとりは無かった時代に幸せな事に、印旛沼には、動物蛋白資源が沢山ありました。
鮒、鯉、雷魚、鰻、雑魚(色々な小魚)、たんけい貝、たにし、しじみ、ザリガニ等々。
 なかでもザリガニは、10センチから15センチもある大きなものが沢山いて、バケツに一杯位は私達小学生にも簡単に捕れたのです。ゆでると見事に赤くなって、それを毎日のように食べました。少し骨を折って、自分達で捕ったザリガニはとても美味しかったのです。

「印旛沼干拓」
 昭和20年8月に、日本は敗戦国になってしまいました。そして、あの大混乱が落ち着いてきても両親は、東京に戻らず、そのまま頑張ったため、どうにか食糧だけは、自給自足できるようになったのです。
が、現金収入がないので、生活は、相変わらず貧しいものでした。幸いなことに、印旛沼周辺の干拓事業がその頃から始まり、印旛沼周辺の農家になっていた両親も沢山の水田を増反することが出来たのです。
 中学生になっていた私は、健康で身体も大きかったので、女だてらに馬耕(牛や馬にすきを引かせて田を耕すこと)を人から習い、農繁期には、学校も休んで農作業の手伝もしました。その後、ようやく家計にゆとりもでき、わたしは成田高校に進みました。私の戦後はこうして終わりました。

「自然の尊さ」
 戦後、日本人の勤勉と努力で、日本は世界でも有数の経済大国になりましたが、このままの状態が続くのでしょうか?今も続く中近東の戦争を見ると、日本も安心は出来ません。
 どんな時にも日本に豊かな自然が残っていたら、私は必ず生き延びられると信じているのです。しかし、印旛沼に例をとって見ましても、少女の頃泳いだ時の透き通った水は今は無いのです。魚やザリガニや、たんけい貝は影をひそめてしまいました。私達の食卓にのるのもまれな事になってしまったのです。これで良いのでしょうか。私は平和運動も大切だが、一方で手近な印旛沼浄化運動も大切ではないだろうかと考えています。
 私は戦後の食糧難と少女時代にお世話になった印旛沼の自然がどんどん破壊されて行くのをただ黙って見ていられないのです。

 むかしの美しい印旛沼をみんなでつくっていきましょう。

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 「今だからこそ 私たちの戦争体験記 成田市 二部 苦しい生活を乗り越えて」を読む方は下のリンクをクリックしてください。
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