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更新日:2020年11月6日

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マッチの想い出 (幸町・女性・68歳)

 戦況が次第に危うくなって、物資が著しく欠乏し、食糧や、衣類をはじめ、すべて配給制となり、国民は余儀なく耐乏生活をしいられた昭和19年のことです。

 この年の春、わたしは成田へ嫁いできて、4ヶ月後に夫が応召された。残された家族は夫の両親と5人の弟妹合せて8人でした。嫁いでまだ日があさかったから、家風にはなじめず、そのうえ夫は召集され、残った大家族の中で辛いことばかりでしたが、この非常時に弱音を吐いてはいけないと自分に言い聞かせながら、もっと意志を強くして生きなければ…とひたむきな姿勢のもと毎日が必死でした。

 そんな或る日のことでした。5時半に起きて朝ご飯を炊こうとしました。ところが、いつも置いてる場所に、ひと箱しかない肝心のマッチが見当たらないのです。家族に聞いても知らないと言う。愚図愚図してたら、妹達を学校へ送りだすまでに朝食が間にあいません。

 そこで左隣りのお宅へ急いでマッチを拝借に行きました。でも表戸がまだ閉まっているのです。仕方なく今度右隣りのお宅へお願いにあがるしかないと思ったのですが、舅姑は日頃右隣りとの交際は親しくないようでしたから気が重いのです。然し勇気をだして拝借に伺いましたところ、おばあさんが3本入ったマッチ箱を心良く貸してくださったのです。涙がでるほど有難く何度もお礼を言ってお借りしてきました。当時マッチは配給制だったかは記憶にありませんが、とにかく、入手困難な必需品でした。

 それからは、火種を絶やさないよう、かまどの中のたきおとしを火鉢に移し、その中へよく乾燥させた薪を、たどんぐらいの大きさに切って炭代わりに入れ、灰をすこしかぶせて日夜火種を絶やさないようにし、その火種から古新聞に火をつけて、マッチ代わりに使ったのです。今は台所も電気製品が普及して生活様式が著しく変りました。マッチがなくてもワンタッチで点火できる時代になり、昔の生活必需品だったマッチは、台所からかげをひそめました。

 戦後、経済が急成長して、国が豊かになり物も氾濫しています。わたし達が幸いにも生き残ってなに不自由なく、幸せに暮らしている陰には、多くの戦没者の犠牲のあったことは言うまでもありませんが、こんな些細な苦労もあったのです。戦後42年たちました。戦争の悲惨な実態は、だんだん風化されつつありますが、当時の体験をとおして、戦争は絶対起こしてはならないと痛切に思います。

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