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更新日:2020年11月6日

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戦争と共に歩んだ青春時代 (南羽鳥・男性・67歳)

 私は17年に実施された徴兵検査を受けました。検査では現役の甲種合格で直ぐに佐倉の連隊に入隊させられました。
 当時は、甲種合格といえば、お国のために役立つ立派な青年という社会風評があったのですが、今思えば幸なのか不幸なのか、入隊直後に体の具合いを悪くした私は、10日ばかりで帰されてしまったのです。
 しかし、戦局も激しさを増してくると、それどころではなく、召集を受け、今度は海軍の横須賀海兵団に配属されました。が終戦も近いころの海兵団とは名ばかりで、港には戦艦の影一隻すらもなかったのです。
 訓練も空襲の激しい昼間は避け、夜間訓練ばかりでしたが、この訓練も実は意味のないものでした。終了しても乗れるあてのある戦艦は横須賀にはないのですから。

 その内、食糧事情が切迫してくると、我々の部隊は飛騨の高山で開墾をさせられたんです。これは正しくは農耕部隊ですね。
 また、首都東京は、昼夜を問わず、米軍の新鋭爆撃機B29の空襲を激しく受けていましたが、これにたち向かう戦闘機さえなかったのです。あったとしてもB29の高度まで上昇できる性能はなかったでしょう。
 聖戦とはいうものの、こうなると完全に負け戦だと思いましたね。もちろん、当時はこんなこと口に出しては言えませんが、心の中では、もうダメだと思っていました。

 それに食べる物が底をついていました。腹が減っては戦ができぬ例えはその通りで、士気が上がりません。山の中に壕を掘って泊まり、蛇やたにしまで食べた腹っ減らしの兵隊さんでは、敵が上陸してもどうにもならなかったでしょう。
 特に昭和19年から終戦、それに戦後の食糧不足はひどい有様でした。農家でさえ白い御飯を食べられる日はめったになく、ジャガイモやサツマイモを刻んで御飯に混ぜ、量を増やす工夫をしたものです。

 だから、8月15日の詔書を聞いた時は、正直なところホッとしましたね。もっともその内容を十分に理解することは非常に難しいことではありましたが、とりあえずは、これで無駄な犠牲は払わなくても済んだな、という思いでした。それは、敵が九十九里浜に上陸してくるという情報が入り、その時は、爆弾抱えて敵戦車に飛び込めと命令されていたんですから。自爆しろということだったんです。今思い出してもゾッとしますね。
 しかし、終戦で命拾いはしたものの、この先、世の中はどうなってしまうんだろうという不安感が残りました。それまでは、戦争に勝つという国民総意の目標がありましたが、それが根底から崩れてしまったのですから。

 この不安感に拍車をかけたのが、何といっても米不足でした。現在の稲作農家は一反歩から約10俵の収量があるといいますが、当時は4俵位が平均で5俵の収量があげられる農家はよっぽどの所でした。
 肥料がないから収量を上げられないのです。昭和20年はひどい干害も追い打ちをかけました。都会から衣類を持って買い出しに来られる方も随分おられましたが、分けてあげられるほどの米がとれないのです。
 内地や外地から一時に兵隊さんが復員するし、どこの家庭でも食べ盛りの子供が5から6人はいたし、国は厳しい米の供出を要求するし、農家であっても米を口にできない時でした。

 そんな時に、供出の対象外だった開墾地や沼の干拓地で頑張られた農家は立ち直りも早かった様ですが、主人が戦死されたり、男手のない農家の生活ぶりは大変だったと思います。まるで地獄だったという人もおりますから。
 これでも農家の食生活はまだ良い方で、会社員や公務員など給料で生計を図っていた方は、もっと惨めだったと思います。限られた商品に人間が殺到しますから、物価は自然の内に上がっていきます。
 それも、ものすごい勢いでインフレは進んでいきました。物価に月給が追い付いていけない様でした。闇米、闇市もこの時代で、お金よりも物で交換されていましたね。

 私の青春時代は、この様に全て戦争と二人三脚でした。大正10年に生まれ、物心ついた時にはすでにまわりは戦争という環境にあったのです。
 学生時代も勉強らしい勉強はせず、小学校2・3年から芋畑を耕し、出征軍人の家にも勤労奉仕に行きました。そして、お国のためという令状で召集され、一命は取り留めはしたものの死や飢えと隣り合わせの極限状態。
 戦後もまた、お国のためと食糧増産、復興と戦ってきたのです。

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