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更新日:2020年11月24日

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黒い墓標 (郷部・男性・63歳)

 昭和20年8月、東部第92部隊(東京小平電波兵器教育部隊)より、山口県小月航空隊へ、タチ7号(レーダー)要員として、転属命令を受けた特幹同期6名は、連日の空襲に歯ぎしりしつつ、一路西に向かった。
 やっとの思いで、広島県の海田市に到着したのは、8月7日の朝であった。安否を気遣う、無数の貼紙の駅周辺。そして目にし、耳にしたものは、昨日朝投下された新型光線爆弾による、恐怖の坩堝の煮えたぎるような光景であった。
 途方にくれた我々一行は、衆議の末強行突破を決意し、地獄への第一歩を踏み入れた。周囲の様相は進むに従い、爆風により、瓦がずり落ちる程度に始まった。被害が、軒先のつぶれたもの、そして、半壊、全壊、と続く。杖にすがる血だらけの、避難民と逆行して、爆心に向かっている。我々の見るものは、川岸にずらりと並ぶ、力尽きた死体。トタンの下で、ぶすぶすと燃えている子供たちの死体。そして炭のような塊り。どちらを向いても死体、死体、死体の集団。人間ばかりでなく、馬も張子のように膨らみ足を空に向けている。

 以前は大きな木であっただろう。黒焦げの丸太が墓標のように立ち、無情の石灯籠が、此の世の終わりを眺めている。ドームの前に、辿りついた我々は、憲兵隊の特配のにぎりめしをほおばり、灼けた石畳を跳ね歩いた。鉄骨だけの電車の前に、放心した様に立っていた兵隊の姿が目に浮かぶ。
 方角も知らない我々は、鉄道に従い進んだ。鉄橋に差し掛かると、死体の沢山浮く川面をにらみ、編上靴を靴紐で結び首にさげ、剣を腰に差し、よつんばいになって、鉄路の上を這い出した。必死の思いで渡り切った時は全く精魂尽きて、暫く座りこみ動けなかった。
 いくつか川を渡った。無我夢中で進んで、やがて夕闇が迫る頃、疲労と焦りでくたくたの眼に映ったのは、野中に止まっている列車の姿だ。ほっとした。我々が近づいてみると、屋根の上まで人が乗っている。やっとの思いで窓に掴まり這い上った。
 我々の見たものは、死の地獄より、猶悲惨な生き地獄だ。片腕の肉がぶらさがった女、顔や手足が、紫色に盛り上がった火傷の人々、地に乾いた傷には、蠅が止まっている。五体満足な軍服姿の我々を見詰める眼は、皆一様に鈍い光でうつろだった。我々は目をつむり無言で耐えた。絶えず聞こえる、呻き声、泣き声、狂人のような叫び声。そして列車は、いつでるとも、何処まで行くのかも不明だ。

 発車は夜になった。そこが甲斐に近い所だと聞いたのは、暫くたってからである。朝8時に海田市を出て、此処へ辿りついたのは、夕方6時近く。かくして、狂気の行軍も、終わりに近づいたが、思えば戦争終焉への道でもあった。どうにか任地へ着いて、一週間運命の日が来た。同志と慟哭。山に立てこもりかたわらの樫の木、「神州不滅」と剣で彫り、死を覚悟した。

 復員後、余りのむごさに、語ることをためらい、無理に忘れようとした記録だが、平和の今こそ、平和の大切さを訴えることが責務と思い拙い筆を取った。

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