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更新日:2013年1月23日

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沿革

 市内三里塚遺跡から発見された先土器時代の楕円形石器は、今から約3万年以前に使われたもので、房総最古の石器であり、成田の黎明期を飾る貴重な遺物として注目されています。後続する縄文・弥生時代にも、きびしい自然を克服した原始・古代の成田人の足跡を貝塚や遺跡の中に見出すことができます。また、市域を南北に流れ、利根川に注ぐ根木名川周辺台地及び北印旛沼東岸台地には、200基を超す古墳が群在し、ある時代には古代印波国の中心地であったことを物語っています。

 律令体制時代の成田は、埴生郡、印旛郡、香取郡に属し、山方・荒海の駅(うまや)が設けられるなど、古代交通の要地でもありました。

 天慶年間、常総の地を揺るがした平将門の乱を鎮めるため、寛朝大僧正によって成田山明王院神護新勝寺が創建され、成田は法灯絶ゆることのない霊地となります。

 中世の成田は、下総千葉氏及び系累の支配下に入り、徳川政権下では佐倉藩、田安家、幕府領、旗本領が入り組んだ中にありました。 特に承応年間に、重税に喘ぐ農民救済のため直訴を決行した佐倉宗吾事件は世に広く知られています。

 明治4年の廃藩置県後、数度にわたる所管の郡の変遷があり、現在の市域は印旛郡に入りました。昭和29年3月31日、町村合併促進法によって成田町、公津村、八生村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村の1町6か村が合併して成田市(人口45,075人)が誕生しました。

 昭和41年7月4日、新東京国際空港(現在は成田国際空港)の設置が決まり、幾多の紆余曲折を経て、昭和53年5月20日に開港しました。現在、航空機が1日平均512便離着陸し、空港旅客数は年間3,000万人を超えており、名実ともに日本の空の表玄関となりました。

 そして平成18年3月27日、香取郡下総町、同郡大栄町の2町と合併し人口約12万人の新生・成田市が誕生。北総台地の中核都市としてさらなる飛躍を果たしました。かつての田園観光都市成田は、信仰のまちとしての顔と、交通、経済、文化の様々な分野で国際交流の拠点として、国際交流都市の顔をもつまちへと大きく変貌しています。